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館山のまつり(館山地区合同祭礼)の起源
その昔、各区の鎮守として祀られている神社のいわれにより、祭りの開催日は同日ではありませんでした。
その後、幾度かの町村合併や更に大正三年に旧館山町(現在の青柳、上真倉、新井、下町、仲町、上町、楠見、上須賀地区)と旧豊津村(現在の沼、柏崎、宮城、笠名、大賀地区)が合併し、館山町となったのをきっかけとし大正七年(1918年)より青柳区日枝神社、上真倉区神明神社、新井区、下町区諏訪神社、仲町区上町区諏訪神社、楠見区厳島神社、上須賀区八坂神社、沼区天満神社、柏崎区國司神社、宮城区熊野神社、笠名区神明神社、大賀区御瀧神社の十一社十三地区が八月一、二、三日に祭礼を行うようになり三日に新井海岸から西の浜海岸沿いに集まり合同祭礼を執り行うようになりました。
大正十二年の関東大震災により、新井、下町の祀る諏訪神社、仲町、上町を祀る諏訪神社、楠見の厳島神社、上須賀の八坂神社の4社が倒壊した為、氏子の協議により四社が合祀を決め、昭和七年に館山神社として、創建いたしました。
それ以降、館山地区では八社十三地区の合同祭礼として執り行われていましたが、令和になり大賀区が少子化の影響をうけ青年会休会等の事情で出祭できなくなり(現在別日に祭礼を行っています)、令和5年の合同祭礼より、七社十二地区の合同祭礼として行われています。
館山のまつりは、愛称「たてやまんまち(たてまち)」として館山城下の人々によって守り、育て、伝え続けられてきた”心のまつり”です。
平成三十年(2018年)に百周年を迎えた「たてやまんまち」は大正、昭和、平成、そして令和とこれからも伝統を伝えていきます。
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ホームページ 主催:館山地区祭礼当番区・館山地区青年会連合会 / 企画:館山地区青年会連合会企画広報委員会
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